6.10愛媛県庁包囲行動報告

2012年6月10日、松山城下の城山公園での集会は13:30にはじまった。県外からも多数の参加者があり、1300人と大きく人が集まった。

福島第一原発事故以降、伊方原発をめぐる集会では最大規模だという。

政党ののぼりが多数前面に出ていたのが、京都からの参加者としては、違和感を感じた。京都では、参加者の幅を広げ、新たな動きを作りだそうと、デモでは政党の名前をださない、という合意を積み上げてきたからだ。しかし、それでもこれだけの人数がデモをしたのはすごいことだという印象を持った。

途中、愛媛県庁前一番町通りの南北の歩道に、南側は県外組、北側県庁沿いは地元組がずらりと並び、「伊方原発はいらない!」と大きく声を合わせた。

しかし、国家は、このような声を無視し、現在、大飯原発再稼働を強行しようとしている。大飯が再稼働できれば、次は伊方、美浜と次々と再稼働させようとしているとも聞く。国家も、つじつまをあわせるシナリオをつくろうとも死にものぐるいになっているように感じられる。

このような状況のもと、われわれはどうすればいいのだろうか?

「辛酸亦入佳境」とは、1907年6月、足尾鉱毒事件での谷中村の強制破壊を前にして、田中正造が書いた言葉である。そして1978年4月25日、伊方第一原発一号炉の設置許可取り消しを求める裁判で、住民側が敗訴したとき、松山地方裁判所の玄関に掲げられた言葉でもある。今回、その松山地方裁判所前(愛媛県庁に隣接)でも、声を重ねた。『原発の来た町 伊方原発の30年』(南海日日新聞社、2002)という本がある。上記の逸話は、この本の前書きを書いた小出裕章氏の文章に依る。著者の故・斎間満氏は、伊方に原発誘致計画がもちあがって以来、30年にわたってこの問題に取り組んだ人である。

その連れ合いだった斎間淳子さんや仲間の秦在子さんらに、今回の集会で出会った。

彼女たちは、毎月11日、伊方原発ゲート前で、「八幡浜原発からこどもを守る女の会」として、この一年座り込みを続けている。同時に愛媛有機農産生協http://www6.ocn.ne.jp/~e-yuuki/waka.htmという消費─生産アソシエーションの中心人物でもある。規模は小さいが、実直に理念を守り、こまわりのきく生協である。出会ったときは、伊方原発の事と同時に、里芋についても熱く語り合った。

『原発の来た町 伊方原発の30年』は、現在も見えにくいところで起こっているだろう、住民の詳細な調査とデータ化にもとづく切り崩し、県職員と電力会社が一体となったシナリオづくり、「われわれ原発立地県が骨をおっておるからこそ都市部は電気が足りるのだ……」というイデオロギーの発生など、すべて40年前からあったことを教えてくれる。

われわれは、見えているのに、見えないのだ。

この状況に粘り強く対抗していくには、声をあげ続けること、そして消費―生産アソシエーションを、継続的に形成しつづけていくこと以外に他はない。

それこそが「辛酸亦入佳境」という状況を、反復せず、この言葉を無用のものにするための唯一の道である。
集会後のデモは、16:30頃松山市駅前の坊ちゃん広場前で解散した。斎間淳子さんたちは、「伊方原発をとめる会」とともに、続いて翌日11日(月)に伊方原発ゲート前に行き、アピール及び申し入れをおこなった。(吉永剛志)

原子力基本法改悪に断固抗議する緊急アピール