【再稼働阻止全国ネット・5・18柏崎刈羽連帯集会】報告

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去年の11月に結成された「再稼働阻止・全国ネットワーク」が主催する現地応援ツアーの第2弾である柏崎・刈羽ツアーへ参加した。(18日・19日)
3.11以降、大体月1回のペースで行われてきた首都圏における反原発デモへの参加は、いわば自分の「必要」なのであったが、1年が経過する頃からどうもそれだけでは何か足りないと感じるようになった。反原発の意志を表明する人たちと一緒に歩くたびに自分の衝迫が形になる満足は感じるが、原発現地で意志表明を行っている人たちとも一緒に歩きたいという思いが募って、去年の4月と6月には福井市へ、そして再稼働直前には大飯へも行った。同じ衝迫に駆られた多くの人たちが全国から参集してきたが、これを機に「再稼働阻止・全国ネットワーク」結成への流れは形成されたのだ。

結成から半年、着実に成長を遂げつつあるこの運動体の姿を、18日に行われた集会の様子を簡単にレポートすることによって伝えたいと思う。

「再稼働阻止全国ネット」の主催した行動は、これまでにざっと以下のものがある。
・12月8〜9日 もんじゅ廃炉・大飯原発抗議行動(関西) 80名参加
・1月26〜27日 全国合宿(東京)で原発現地との交流 50名参加
・4月13〜14日 再稼働阻止全国ネット・羽咋全国交流会 70名参加
今回はこの流れに沿う企画であったが、ネット結成前の昨年10月にも同様の行動がすでに一度試みられていたそうで、リピーターだと言う人が何人もいた。
前回、その意義に確信を持ったたんぽぽ舎の柳田さんが、現地の親睦会で、次はさらに多くの人数でやってくると宣言したそうなのだが、言葉通り約2倍の人員を動員しての行動となった。(バス2台80名、車20数名)

【ツアー1日目】
●原発再稼働阻止応援ツアー受け入れ集会(130名参加)
5月18日(土)14:00〜16:30
柏崎ワークプラザ(柏崎市田塚)
主催:柏崎原発反対地元三団体(原発反対同盟、守る会、地区労)
司会:近藤容人(刈羽村村議)
1、主催代表 高橋新一(柏崎市議)歓迎あいさつ
2、阻止ネット代表 柳田真 連帯のあいさつ
3、柏崎現地闘争報告 矢部市議
4、各地からの現地闘争報告
福島・大間・東海・志賀(羽咋)・大飯・東京(テントひろば)
5、詩朗読
6、集会決議
7、シュプレヒコール

プログラムを一見すると退屈そうなこの集会が実に素晴らしかった。なんというか、すべてが見事に噛み合っていた。
柳田さんは、原発をなくすには再稼働阻止の1点に集中するべきという持論を展開し、現地の論客矢部さん(三団体共同代表)は2007年の中越沖地震で地獄(3.11福島と同様とならなかったのは“運が良かった”以外の何物でもなかった)を垣間見たにもかかわらず4基まで再稼働に持って行かれた現実とそれへの抵抗を語った。
続いて福島から参加の女性2名が、一人は楢葉村出身で郡山の女性50名ほどの参加するユニオンの事務局の方で、「阻止ネット」とほぼ同時に結成された「被ばく労働を考えるネットワーク」にも参加している佐藤昌子さんだったが、再稼働阻止の次には廃炉の段階が必ずくるが、そうなっても被ばく労働の問題は続く。現在は惨憺たる状況だが、とにかくもっと関心を寄せてほしいと痛烈に訴えた。もう一人は大熊町で塾を経営していた木幡ますみさんで、事故前からの行政や東電に対する再三の抗議の様子や、東電に就職したと報告に来た生徒に翻意するよう云えなかった後悔を淡々と語った。(生徒は事故の時死亡)
大間から参加の中道さんは、8月完成予定の陸奥中間貯蔵施設は、柏崎・刈羽原発等の膨大な使用済み核燃料を移設するために急ピッチで建設が進んでいるが、今後の見通しが何も決まってないのに、なぜ進んでいるのか。今年中になんとしてでも搬入するとのことだが、なぜ使用済み燃料の危険な移動を行うのか。六ヶ所の再処理工場はすでにいっぱいだが、中間貯蔵施設からの搬出先はどこになるのか。青森県は最終処分地にはしない約束になっているが、最終処分地は決まっていない。大間原発は「プルトニウムを燃やすためだけ」に建設される原発である等々、東通原発前で継続中の金曜行動の報告と共に力強く主張した。
冨山から参加の藤岡さんは4月の羽咋応援ツアーがいかに現地を力づけたか語った。
東海の相沢さんは3.11の際、津波がもう70センチ高ければ福島と同じ惨事となった点を力説し、上田さんは反原発運動の要である村上達也村長の「もう一期」へかかる強大な圧力を詳説し、支援を訴えた。
関西から「くま」さんが6.29・30に予定されている大飯行動の詳細を説明したのち、最後に東京から経産省前テント広場の八木さんがどのような信念で闘争しているか詳細に語り締めくくった。

附記:前回、10月の柏崎・刈羽ツアーの折、要望があったそうで、集会後の夜、宿舎で女性参加者達と地元の女性達との間で長時間に渡る真摯な「語り合い」が行われたそうです。