あの日、東京電力福島第一原発事故を境に、それまでの日常を失った福島県の人々が、3月11日、まだ厳しい寒さの残る郡山市に集まった。
東日本大震災・福島原発事故1周年「原発いらない3.11! 福島県民大集会」が、同市の開成山野球場で開かれた。主催者発表によると1万6千人が県内外から参加。寒風吹きすさぶ会場、身の凍るような天候の下、「県民の訴え」として登壇した被災者が怒りとやりきれなさを訴えた。拍手と「そうだ!」の声で会場の参加者が応えた。
二本松市で有機農業を営む菅野正寿さんは、農産物の放射能汚染をセンセーショナルに報道するマスコミに怒りをあらわにしつつ、「マスコミが追求すべきは電力会社であり、原発を国策として押し進めてきた国ではないか」と力強く訴えた。無農薬・有機肥料で農業を営むだけでも多大な苦労がある。にもかかわらず、耕してきた畑が放射能に汚染されてしまった現実をどう受けとめたらよいのだろうか。筆者も、川崎で畑を借りている。無精者なので菅野さんと較べるのはおこがましいが、自分の畑が福島のように汚染されたら無力感に包まれてしまうかもしれない。自分の手で育てきた野菜は、どんなに形が悪かろうが、愛おしくて、なにより美味しいからだ。
サッカー留学していた富岡高校から、原発事故のために郡山に転校を余儀なくされた鈴木美穂さんは、原発事故を人災と指摘。「原発がなければ、津波や倒壊の被害にあっていた方々を助けに行くことができた。怒りと悲しみでいっぱいだ」と訴えた。さらに、「人の命を守れないのに、電力とか経済とか言っている場合ではないはず」と経済優先の現状を批判した。この事故を経ても、東京電力はもとより経済界は原発を推進する姿勢を改めていない。政府も、脱原発依存と言っていた舌の根も乾かぬうちに、停止している原発を再稼働しようともくろんでいる。だが、原発の下でどれだけの人が命を落とし、被曝の恐怖に怯えているのだろうか。しかも、未来において被曝の重荷を背負う人々の可能性は否定し難い。多大な犠牲を強いる原発という発電システムなんて、即刻全廃してしまいたい。
作家の大江健三郎氏も登壇し、次のように述べた。「原発事故は絶対になくすことができるのかという問いかけがあるかもしれないが、それはできる。この国の原発を全て廃止すればいい。(そうすれば)原発事故による放射能の害を被るということは絶対にない」
確かにもっともだし、それを目指してこの1年間各地で集会とデモが繰り広げられてきた。ただ同時に思うのは、たとえ原発を全廃しても、犠牲を強いるシステムはどっこい生き続けるのではないのかという危惧だ。原発事故による放射能汚染と同じくらい、原発という名のオブラートで包まれた犠牲のシステムはなかなかにしぶといのではないだろうか。なぜなら、そのシステムを維持したい側が経済力と政治力をして微に入り細を穿って攻めてくるからだ。電力料金値上げをちらつかせ、原発再稼働しなければ電力不足をまねき、日本経済を更に衰退させるとやっきに喧伝している。やつらはこれからもさらに猛チャージをかけてくるに違いない。では、どう対抗すればいい。判らない、と簡単に言ってはいけないのだけれど、明確な答えは出ていない。おそらく、やつらの振る舞い=力学を理解することだろう。その力学を解釈し、噛み砕き、明らかにすることだ。
その意味で、集会後のデモには2つの反省がある。まず、「原発反対」をアピールするのと同時に、やつらの力学を明らかにすればよかったのではないかという反省。例えば、原発がなくても電力は足りていることを演説する。だが、これはデモには適していないのか。歩きながら説明するスタイルでは沿道の人に説明しきれない。ならば、ここぞと思う場所で止まって演説するのはどうだろうか。デモ行進が、急に止まって沿道の人々に向き直り、代表者が演説する。これならば、シュプレヒコールのデモよりも沿道の人々に与えるインパクトは大きい。ただし、デモの運営の点で問題があるかもしれない。次に、しかしどうせデモやるなら郡山駅まで繰り出せばよかったのに、という反省だ。デモのコースは3つ設けられたが、どちらも郡山駅界隈の人の集まる商業地区からはほど遠い市役所を中心とした住宅街だった。筆者の参加した県外者コースは開成山公園沿いのさくら通りを4、500メートルほどのもの。デモの練習をしに来たのではない。これなら犬の散歩の方が充実している。やはり駅に向かって歩くべきではなかったのか。当日、駅前では「郡山元気発進フェスティバル」が催されていた。たくさんの人々で活況を呈していた。ソーラーパネルの展示、陸上自衛隊郡山駐屯地の隊員が自らの活躍ぶりを示す写真パネル、若手お笑い芸人のコント。オブラートを幾重にも覆った復興イベントにこそ、原発反対を食らわしてやるべきだった。
原発全廃を目指す運動=戦いは、まだ緒についたばかりだ。いや、むしろまだ混沌した状況にあるのかもしれない。原発の存在を原発事故というシビアな現象で知ってしまった、強く認識してしまったからだ。さらに、その事故があぶり出してしまったもの=犠牲のシステムに我々は怖じ気づいているのではないだろうか。いや、怖じ気づいていないという声も聞こえてきそうだ。そう、こちらが怖じ気づく必要はない。なぜなら、デモをする状況が当たり前になってきているからだ。状況は確実に変わってきている。やつらが怖じ気づく日は、そう遠くないはずだ。(槇岡)